ランを地植えすると
    なぜ衰弱し絶えるのか

 地生ラン。
 当然であるが自生地では他の一般の植物のように地面、土壌に自生している。
 日本原産のランの多くは、シュンラン、カンラン、エビネ、クマガイソウ、キンラン、ギンラン、
 ウチョウラン、チドリ・・・・アツモリソウ・・・。
 これらのランを多くの人が山から掘ってきて、自生地再現とばかりに、
 他の山野草と同じように地面に植えたほとが多い。
 ところが2,3年後に株が衰弱して絶種してしまう。
 こういう状況で、ランブームの中で、日本の山々からランは消えた。

 人間の愛好という自己中心の考えからすれば・・・・枯れた・・・で終わり。
 だが、目線を変えて、ランの立場からみれば、とんでもない人達と評価されているに違いない。
 ランのエリアに土足で侵入し、拉致してゆく。
 採取とは、人間が勝手にいう言葉である。
 ランから見れば「拉致」そのもである。
 ランは言葉を持たない。
 言わないだけである。
 ランの気持ちを考えない・・・・愛好という残酷。
 ランから見れば拉致、ストーカーである。


 パートナーのいない地面に無造作に植えられる。
 無造作に・・・・。
 こんな人を愛好家と言えるか!
 そうラン達は思ってないているに違いない。
 この泣き声を聞こえない。
 これが、日本のラン界の現状ではないか。

 地面を環境改善のために、軽石、赤玉、バーク、鹿沼などを入れる。
 確かに畑のような土壌より排水性は改善される。
 だが、こんな程度のことでランは元気を取り戻せない。
 肥料を与える。
 だが元気を取り戻せない。
 植物活性剤にすがる。
 藁をも掴む心境で与える。
 だが、元気にはならない。

 当然のことである。
 ラン菌がいない。
 菌根になっている山堀株の根。
 枯れ落ち葉がない。
 菌根が働くことが出来ない。
 土に含んでいる養分がまるで違う。

 こういう状態でも、ランの体内には養分の備蓄がある。
 2,3年はこれで生きられるようになっている。
 タケノコ生活。
 葉で充分な光合成が出来ないから、備蓄を取り崩してのタケノコ生活。
 このランは「年金生活」ではない。
 年金などどこからも支給されないからである。
 この備蓄がなくなれば・・・・即、ザ、エンド。
 つまり、「おくりびと」のないまま・・・地球上から無惨、悲惨に消える。
 愛好家は・・・悲しんでもくれない。

 SUGOI-ne。
 こういう地面に植えたランに・・・・・
 晩秋、枯れ落ち葉が、地面に舞い落ちるように、SUGOI-neを地面に撒く。
 地面に1cm位マルチングする。
 翌年の桜が散った頃、SUGOI-neのラン菌が、SUGOI-neに大繁殖する。
 SUGOI-neを菌糸の酵素が分解する。
 ラン菌がランの根にも棲み付く。
 菌根になっている新しい根が地表面近くに盛んに伸びだす。
 ラン菌がSUGOI-neを分解して出来た糖を吸収するために。

 このとき生油粕を施す。
 ラン菌のエサである。
 生油粕には炭素化合物のセルロース、リグニンなどの他に、
 3〜4%程度の窒素が含まれている。
 激しく伸びだす新根の細胞。
 その核には蛋白質のアミノ酸が必要だからである。
 アミノ酸は窒素由来のもの。
 だから生油粕の窒素が必要である。
 更に、尿素の5000倍液を潅水代わりに与える。
 自生地の雨水に含まれる窒素成分は「尿素」だからである。

 雨水と枯れ落ち葉、ラン菌・・・・この深い関係を再現すれば、
 地面に植えたランも2,3年後には素晴らしい姿になる。
 2,3年後にである。
 ランを一度弱らせれば、SUGOI-neでベストの管理を行っても・・・・
 2,3年の時間を要する。
 この辛抱が出来るか否かである。
 人間の現代社会の時間とランのライフサイクルに大きな乖離がある。
 ランのサイクルに、自分のサイクルを合わせられる人。
 それが本当の愛好家である。

 一年でも早く花を見たい!
 そういう欲望を持っている人は、必ず失敗する。ラン栽培ではつまずく。
 SUGOI-neをダメという人は、ほとんどこういう人である。
 直ぐにゴールを手にしたい人である。
 一口に言えばランを知らない人。
 簡単に翌年花を見たい人!
 沢山の花を「咲かせたい」・・・人。

 「花を咲かせる」!!
 これほど傲慢な考えはない。
 人が「花をさかせる」のではない。
 あくまでも植物の生命力で・・・植物が花を咲かせるのである。
 人間の管理、技術などは手助けに過ぎない。
 SUGOI-neは自生地再現。
 手助けに過ぎない。
 枯れ落ち葉の炭素循環が・・ようやく人が出来るようになったということである。

 

 
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kkouza 12